●人生受難時代
1940年1月、幼少期2歳頃に自宅スチームで、左足熱傷(満州)。
1952年6月3日、福岡県篠栗町教職員病院にて実父は肺結核病死(享年42歳;)。
1953年7月、中学2年の頃帰校途中、河川溺死未然事故(福岡)。
1957年2月、高校1年の頃、冬山登山遭難未然事故(長野)。
1061年6月、変電所勤務中、高圧感電未然事故(東京)。
1991年12月、帰宅途中、バイク転倒交通事故(平山病院;左足骨折手術)。
2010年1月1日、千葉県東庄町特養施設にて実母は病老死(享年93歳;祖敬堂)。
2010年6月、エコー検査で肝腫瘍診断(習志野病院;肝腫瘍切除手術)。
2012年1月、肝細胞癌発症(千葉大付属病院;ラジオ波手術)。 (千葉大付属病院;ラジオ波手術)。
高校生時代(1955~59年)
1955年1月、中学3年の3学期の始め頃に、長野の伯父から、高校進学の話が来た。
1955年3月、長野工業の電気科を受験したが、3回の転校と準備不足等で失敗した。
1055年4月、中学を卒業して、電気科の助手をしながら、入試準備の勉強した。
1956年4月、県立長野工業高校全日制電気科に合格して、入学出来た。
1959年3月、伯父叔母の世話になりながら、無事卒業する事が出来た。
1959年4月、電気技術者として、京成電鉄電気部に、入社出来た。